この施設は、周防大島町久賀地区の歴史的文化遺産である町衆文化の保存・継承活動と、生きがいとふれあいを深める学習を通じ、住民福祉の向上と地域活性化を図る目的で、平成元年に着手し、6年の歳月を経て平成6年3月27日に開村されました。
周防大島町久賀地区は中近世から近代初期にかけて、産業構造の一翼をはたしてきた醤油杜氏、船大工、鍛冶屋、桶屋、機屋、紺屋、傘提灯屋、石工、瓦屋の9職種2,707点の「久賀の諸職用具」に代表されるように、職人の知恵と工夫によって積み上げられた庶民文化あるいは生活文化である「町衆文化」の栄えた地区です。これらの諸職用具と農具、漁具、生活用具等の民具役15,000点は民俗学者である宮本常一氏の指導により収集整理され現在までされています。
近世中期のころは、平地の少ない耕地を活用した水田による稲作や、沿岸漁業においては新漁場の開拓を行ってきましたが、当時の人口増加に対する生産力は限界がありました。
このため、萩藩政府は農漁業以外の労働による収入源として糸引きや機織りを奨励し、これが近世後期において、農漁業を営む者の職人化として進み、産業としてこれら職人文化である「町衆文化」を築き上げてきました。
明治維新前には萩藩の勘場が置かれたことにより、島の政治の中心地として発展するなど、人の往来と物の流通は盛んに行われ、明治初期には遠く米国ハワイへの移民や長崎県対馬方面へ出漁するなど、進取の精神と開拓者精神によって、独自のまちづくりと文化性を創出していました。
このため中近世から近代初期にかけての職人や庶民の創意工夫により築き上げた物質的な町衆文化と、明治以降の米国ハワイへの移民、また、長崎県対馬方面への出漁などによる精神的な町衆文化を基礎に、久賀地区の歴史的文化遺産が残されているとともに、久賀地区住民の心の中に祖先の残した進取と開拓の精神が深く根付いている。